日月神示の真意

これを今読んでいるか読んでいないかなぞ、どうでもいい。コレを今読んでいる信徒どもは、結局、大変なことが起こるのにコレを読まなかったら死ぬんだぞ、コレを読んでさえいれば生きれるんだぞと鼻高天狗になっている。そういう、世の中に対し何一つとして還元しようとしないくせに、自分だけは助かろうとするニンゲンがいちばんいらない。

 

そういう信徒どもは、その時々で自分が何をするのか、この国で何を成すのかというこころざしをまったく持たないゴイムどもだ。そんな連中を、神々が力添えすると思うか。自分助かりたさに日月神示を読みたがるような連中に、神々が力添えすると本気で思うか。

 

少なくとも、2025年に何かしらが起きるとして、起きたらカクジツに日月神示がクローズアップされる。そうしたら中矢伸一という男が、マスメディアに引っ張りだこになって、日本の未来はこうなる!的なテレビ番組をバンバン作るかもしれないし、彼のYoutubeの動画再生数がうなぎのぼりになるかもしれない。

 

彼らは、物事を数字でしか見れない連中だ。彼らは最も不必要な人種だ。〇〇年に〇〇が起きて〇〇万人が死ぬ。だから日月神示を読んで〇〇万人死なないように祈ろう。と本気で思考している狂った連中だ。そんな口先の祈りには何の意味もない。祈りというものを根本的に理解していない。

 

だから、本来はこの経典は、あのようなカタチで世の中に流布するようなものではなかった。読ませても意味がない連中に、読ませている。そういう連中が読むと、ありがたがって、まったく見当違いな理解をする。

 

要するに、終末論者かヒッピー、この二種類の人種しかいない。結局精神的に豊かになろう、ニューエイジを迎えようとか言いながら、文明の利器を捨て原始時代に戻りたがるどうしようもない連中だ。

 

そういう、大震災があるにせよ大水害があるにせよ、時代の潮流に反した逆進的な思考をする連中に神様は味方しない。